いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ。
①『徒然草』は日本文学の歴史のちょうど中間、折り返し地点にある
江戸時代になってようやく注釈本出版 『春曙抄(しゅんしょしょう)』 北村季吟(きぎん)
※芭蕉も井原西鶴も読んだはず
※岩波書店でも昭和27年には春曙抄で出版していたが、やがて能因(清少納言と同世代)の三巻本をもとにした版で出版されるようになった。
※春曙抄 枕草子の書き換えが含まれる注釈本 について、
その書物がどう生まれてきて、時代を経てどう読まれているかに注目する読み方もある。
草子の中に有りける、見付けたる。又、折から、哀れなりし人の文、雨など降りて、徒然なる日、捜し出(い)でたる。去年(こぞ)の蝙蝠。月の、明かき夜。
『ディブック』——記録映画上映とシンポジウム
不浄の血 :アイザック・バシェヴィス・シンガー,西 成彦|河出書房新社
の翻訳をなさった方だったのでした。ポーランド・ワルシャワで書いてもいたけれど渡米後の英訳作品で広く知られる作家ですよね。この『不浄の血』はあいにく家に置いてきてしまいました。とはいえこの日のイベントのテーマはもちろん「ディブック」だったですが。
こういう集まりに行くのは、手あたり次第に読んでいる本をまるでメトロ路線図のように関連づけができるようになるのが面白いからです。例えば今回だと「ユダヤ演劇」社の「ディブック」線には、象徴主義、ポーランドと帝政ロシア、ロシア革命、ロシア・アヴァンギャルド演劇、家父長制と女性、シオニズム・・・の駅があり、他の路線と交差するようにつながってゆく・・・ような。読書によって駅を抽出できる人もいるのでしょうが、私は会話から抽出していくのが好きです。
- さて、『ディブック』は、ベラルーシ生まれの作者S・アン=スキがユダヤの伝承をもとに1915年ごろにロシアで完成した脚本で、心中ものともメロドラマとも、共同体からの圧迫に屈しなかった女性の物語とも読めます。言葉もろくに交わさぬままで相思相愛な若い男女がおり、片や裕福な家の娘、片や身寄りのない神学生。娘の父が別の裕福な家の若者との縁談をまとめたと知って絶望した神学生は死んでしまい、天寿を全うできなかった迷える魂(ディブック)になって、婚礼を迎えた娘に憑りつきます。ユダヤ社会におけるエクソシストたるレビ・アズリエル師が調伏を試みるものの苦戦。やがて神学生の父の霊の訴えで悲劇の因果が明らかになります。結局、レビ・アズリエル
師が選んだ方法とは…。
第二部はシンポジウムで、『ディブック』の成立やその後の経緯、イスラエルの演劇状況など。
Low (David Bowie)
スーパーの西友で電球を探していたらデビッド・ボウイのスペースオデッセイがずっと流れていて、なぜ今この曲を?と首をかしげていたその晩にネットで訃報を知った。
デビッド・ボウイの曲を初めて聴いたのは父のLPレコードの「Low」だった。その頃LPプレーヤーというものは応接間に置かれていて、スピーカーが生活空間の中で少々大きめで、レコードはわざわざ応接間に行って背筋を伸ばして聴くようなものだった。来客向けに父の本を並べた本棚にはわずかにLPレコードもあり、基本はグレン・グールドのバッハばかりでそこに1枚だけデビッド・ボウイが混ざっていたのだから相当愉快な組合せだった。
「Low」はどなたかが父にプレゼントしてくださったのを私は覚えているのだが、詳細を覚えている人はもういない。作品自体は1977年で、いただいたのは1985年頃だ。私も一緒に聴いて、グレゴリオ聖歌みたいだと思った。
この他父がデビッド・ボウイをどれだけ知っていたかといえば、テレビ放映での映画『戦場のメリークリスマス』を一緒に観たことがある。ビートたけしの演技に感心していた。レコードの「Low」も時々聞いてはいたが、ヘビーローテーションで聴いていたお気に入りのグレン・グールドには勝てなかったようだ。
「Low」のおかげでむしろ私や母がデビッド・ボウイに夢中になってしまった。「シリアスムーンライト」ツアーの深夜テレビ放送(1985?)を観るためと言って、母は意を決してビデオデッキを購入してしまった。ユーロスペースで観たレオス・カラックス監督の映画『汚れた血』(1988)の「モダンラブ」の使われ方が素敵で好きな映画の一つになった。2015年にはドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ・イズ』を2回、映画館へ観に行った。
ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ・イズ』はイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館で開催された素敵な回顧展「デヴィッド・ボウイ・イズ」の紹介を兼ねたデビッド・ボウイの魅力満載の映画で、一時は回顧展を見るだけのためにアムステルダムに行きたい!と思ったほどだった。幸いなことに回顧展(※)は2017年春に日本来るようなので、それまでにデビッドボウイ作品を味わっておきたい。
※ http://www.vam.ac.uk/content/articles/t/touring-exhibition-david-bowie-is/
もしも父があと少し長生きして『デヴィッド・ボウイ・イズ』を映画または回顧展で見たら、ライフワークの一つだった詩人マヤコフスキー(マヤコフスキイ)と比べて、きっとなんやかんや言っただろう言葉を、思い出の中から類推するしかないのがまだ少し寂しい。
(ブログ)何を知っていて 何を為すのか
その晩、映画を見てきた帰り道、駅を出たところで父を見かけた。
いつもより良い目のスーツで、シャッターの下りた畳屋の軒先に立って、不機嫌極まりない顔で、煙草に火をつけようとしていた。
家の中ならまだしも、外でこんな顔をしているのは見たことがない。一緒に帰ったらいらぬ小言をくらいそうだ。コンビニで時間をつぶしてから帰ろうかと向きを変えた時、もうそれから6年も経った今でも科学的に納得のいく説明はつかないのだけれど、そしてどうか頭のおかしい女の戯言と思わないでいただきたいのだけれど、頭の中でこんな声がした。「そんなことしたら許さない。一生後悔するからね!」
有無を言わせない勢いに驚いて私は苦笑していた。口の右端が諦めのような笑いでぎゅっと上がってゆくのがわかった。しょうがないなあ、そんなに言うのなら勇気を振り絞りましょうかね、と心の中で返事して、煙草を吸う父の前に立った。
感傷的な解釈としては、人格には上っ面側と奥側の層があって、上っ面側は注意力散漫、思考浅薄、行動は反応的。奥側は逆に物事を深く広く観察する。日常は上っ面側が占有率99.9%で、奥側は滅多に表にでてこないけれど、上っ面側は奥側の判断を信頼している、といったところだろうか。
その12時間後に父が急死することと、その帰り道が父と話のできる最後のタイミングだったことを、どうして奥側は知っていたのか。どちらも私だというのなら、あの頃私は本当のところは何を見ていて、何を知っていたのか。もしももっと自覚的だったら、手の打ちようがあっただろうか。何度もその情景を思い出す。
私の姿をみて、父の表情がすこし和らいだ。不機嫌極まりない様子は疲れていたせいだったからだ。ある先生の長寿のお祝いの会の帰りだという。(その先生には七日後の父の葬儀でお目にかかった。)それまでどんなときも絶対に弱音を吐かなかった父には珍しく「疲れた」とつぶやき、それでも煙草を手放さず息を切らせながら歩いた。
竹橋の近代美術館で見たゴーギャンの凄さを嬉々として語りはじめた。「いつか見たいと思っていた絵だ。良かった、本当に良かった。お前も見て来い。」
翌日朝、父は普通に食事を済ませて、私が外出する頃、父も外出の準備をしていた。道中読書には、ゴーギャンにちなんでマリオ・バルガス=リョサの『楽園への道』を持った。
「僕も出かけるから」と笑っている父に見送られて私は出かけた。どんよりとした曇り空で鳥が高いところで鳴き騒いでいた。何か胸騒ぎがしていたのに振り返らずに駅へむかったかのように記憶している。でもその胸騒ぎはあとづけの脚色にも思える。記憶はいいかげんでお調子者だ。例えば『楽園への道』を家に置き忘れるとかして、30分後に家に戻っていたらせめて一人ぼっちで死なせなかったもしれない、といった類の沢山の小さな後悔が記憶を変えてしまうのだ。
状況をよくわからない人は家族の不注意とも思うだろう。毎日一緒にいた家族のくせに、という気持ちも道理もわからないでもない。ましてや前日お祝いの会に出席しているのを多くの人が見ているのだから、その翌日に死んだなんて信じがたいことで、なんらかの原因をつきとめて指さしたくなる気持ちもよくわかる。でもあえて言わせてもらうなら、大きな持病もなく生まれながらに頑強で健康には絶対的な自信を持っていた父だったので、私たち家族にも予想外の出来事で、気持ちの整理がつけられなかったのだ。
ひと段落した頃、道で父の主治医に会った。「あっぱれな大往生でしたね。男としてうらやましいです」。こういう慰め方もあると知った。
(ブログ) 意味が生まれるとき 2009年10月02日に考えたこと
情報は、置かれた場所によって意味が変わってくるという。
ある夕方、楽しい集まりが終わって、二次会どうします?と話をしながら電源を入れた携帯で身内Aの危篤を知った。
どうして?
今朝、ふつうに話をしたじゃないか。
ふつうに新聞を読んで、食事をして、歯を磨いて、出かける準備をしていたじゃないか。
危篤は確定になった。家に戻って、扉を開けた瞬間から、筆舌に尽くし難い物語が始まった。
たぶん「筆舌に尽くし難い」には、2とおりある。
状態1:記憶・感情がいまだ整理されていないから筆舌が尽くせない状態
状態2:筆舌を尽くした影響に配慮して自粛している状態
およそ10日経って、こういうものを書けるようになったからには、今は【状態2】だろう。
もしかすると【状態2】のふりをした【状態1】かもしれない。
死亡診断書を受け取った。
ア:直接死因
イ:その原因
ウ:その原因
エ:そのまた原因
が記載されている。
そんなものは、と、お医者様には大変に申し訳ないことではありますが、身内にとっては何の意味もない。
何が書かれていようとも、生き返ることはない。
私達は、身内Aの友人Bに電話をした。
急なことで驚いている友人Bへ、電話越しに読み上げられる死亡診断書のア・イ・ウ・エは、「納得の材料」となる。
やがて友人Bはメールをしたためる。
「納得の材料」は「訃報」になる。
メールは拡散する。
「訃報」は「悲しみのはじまり」、「知り合いに伝えなければならないこと」になる。
もしもマスコミやブロガーの目にとまれば「お知らせ」。場合によっては 「情報源」になる。
いろいろあって。
ここのところ連日、石屋と返礼品業者から、電話とカタログである。
そうだ、彼らにとっては「ビジネスチャンス」なのだ。 世間は持ちつ持たれつですものね。
さて。
ワタシに降りかかってきて、それは「誓い」になった。
聞かされてきた通り、わかるべきことをわからないままでいるのは「想像力の欠如」なのだから。
「・・・でも、やってみよう」
さよならは言いません。
どうか私達を見守っていてください。
【本】もののはずみ(堀江敏幸) 小学館文庫(2015)
「ほんのちょっとむかしの」製品で、「捨てられはしたけれど破壊はまぬがれた」ものとの出会いを描く短編集。
それぞれ関連するモノクロ写真と短編がセットになっている形式で、今回特に気に入った短編は、「十九時五十九分の緊張」。オートフリップ・クロック、通称パタパタ時計への底なしの愛が語られていて愉快でたまらない。「待つこと」のいとおしさが沁みてきます。
本書は、2009年版の角川文庫に書きおろし3編が追加されて復刊したもので、書きおろしの中では「靴屋の分別」が良かったです。手袋みたいに片手を入れて動かすタイプの人形のお話。
これを書こうとして、角川文庫ではじめて読んだ頃のことを思い出した。熊についての短編「おまけ」に出てくる「青いチェック模様の熊」が、実際に作者・堀江さんの鞄にぶら下がっている様子がなにかの雑誌のバックナンバーに載っている、と教えてもらって、神保町の古本屋を巡ったこと。路面が照り返す熱い日だった。教えてくれたその彼女は居心地の良いカフェを求めて、文字通り日本中を巡る人だった。単純に、本は読めさえすればよくて、カフェでは読書さえできれば、と雑に済ませていた側としては、フランス語が読めて、本の装丁やインテリアにも詳しくて、さすがずっと堀江さんのファンをつづけてきた人は違う、と感心したものだった。復刊を機に、またどこかで会えそうな気がする。
【本】死神の精度(伊坂幸太郎) 文藝春秋 (2008)
作者がブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』に影響されて書いた、と知って早速読みはじめた。死神の行動がすごく面白くて、いや死神本人はあくまでも真面目なんだけど、通勤電車で人前なのに笑い出しちゃった。
ブラッド・ピットの出てくる映画『ジョー・ブラックをよろしく』を思い出した。ぎこちなく人間のふりをしている死神が少しずつ人間界になじんでゆく話でもあるので。
死神は一週間後に死を予定されている人間のところへ派遣され、死の執行の可否を調査する。人間界の大組織と同様に、死神達もまた何かの組織の駒に過ぎず、限定的な情報だけ与えられて現地へ赴く。調査の結果、予定通り死なせる場合は、死ぬところを見届けるまでが仕事だ。ちなみに死神が取り扱う人間の死は、事故死や殺人であって、病死や自殺は対象外となる。
死神たちにも個性があり、ろくすっぽ調査をせずに上へ「可」を報告する輩もいるようだが、我らの主人公はじっくり丁寧に調査する。彼が仕事をするときはなぜかいつも悪天候。だから一回も太陽を見たことがない。
死神達は「ミュージック」が大好きで、「聴いているだけで、私は幸せになる」。深夜のCDショップでいつまでもいつまでもいつまでも視聴しているのは死神の一人かもしれない。お気に入りとして、バッハのチェロ無伴奏組曲と、ストーンズのブラウンシュガーの曲名がでてくる。
影響と言われるのは『巨匠とマルガリータ』の大悪魔・ヴォランド、キリストの処刑さえ目撃した永遠の存在で、これが死神につながってゆくのだろう。ヴォランドに比べると、我らの死神は職人気質で生真面目だ。1930年代のモスクワでサバトを開いたヴォランドを日本に連れてくるとこうなる、となんかすごく納得した。
Wikiによると、この作品は2008年に映画化されている。近々DVDで観てみよう。続編に『死神の浮力』がある。