読めば読むほど

読書日記など

いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ。

 講演『徒然草枕草子』(放送大学教授・島内裕子)を聴いてきました。
 講演タイトルの、あまりの壮大さに目を瞠ったんだけど、随筆の古典二つの解釈をまとめて聴ける機会と思って。期待にたがわず、徒然草の専門家による、枕草子との比較のお話しは、ひきたつ徒然草の美点とか、枕草子の現代性があぶりだされて、とても面白かったです。
 
以下、受講メモと感想など
 
■受講メモ

①『徒然草』は日本文学の歴史のちょうど中間、折り返し地点にある
 
 712   古事記
1000頃 枕草子  (清少納言)
      源氏物語 (紫式部)
1330 徒然草  (吉田兼好)

徒然草枕草子を同時に視野に入れてみると新たな世界が広がる
 枕草子 11世紀初頭頃の宮廷女房文学 
 徒然草 14世紀前半頃の出家者の文学
 
 ※研究として深め細分化するばかりではなく、徒然草と他の作品や作家との比較等を試みたいけれども、学会などでは嫌がられるらしい。
  領空侵犯になるからかな?質疑応答の時も、徒然草についてだけ聴きたかったのに、と苦言申し立てる人がいた。講演タイトルにも、二つの作品の話をするってはっきり示されているのにね。
 
③兼好は枕草子を愛読
  徒然草にもリスペクトが多々見られる。
  特に第十九段
 
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむ)になるほど、雁鳴きてくる頃、萩の下葉色付く程、早稲田刈り干すなど、取り集めたる事は秋のみぞ多かる。また、野分(のわき)の朝(あした)こそ、をかしけれ。言ひ続くれば、皆、源氏物語枕草子などに言古(ことふ)りにたれど、同じ事、また今更に言はじとにもあらず。思(おぼ)しき事言はぬは、腹膨るる業(わざ)なれば、筆に任せつつ、あぢきなき遊(すさ)びにて、かつ、破り捨つ(やりすつ)べき物なれば、人の見るべきにもあらず。
 
  それまで、源氏物語と並び称される作品は、『狭衣物語』(さごろもものがたり 従兄弟同士の悲恋もの)。兼好が初めて枕草子とセットにした。
  兼好法師は、枕草子を自分の好みに仕立て直しつつ、出典を明らかにしている。
 
  徒然草はずっと読み進めると、兼好法師の視野の深まりと広まりが感じられるが、枕草子は成長が無く刹那的(終末思想からかなぁ)

④残念な枕草子の扱われ方

 段の切れ目とかがまちまち・本によって異なる。能因本(清少納言と同世代の人が所有していた枕草子の三巻本)から多くの派生が生じる。

 江戸時代になってようやく注釈本出版 『春曙抄(しゅんしょしょう)』 北村季吟(きぎん)
  ※芭蕉井原西鶴も読んだはず
  ※岩波書店でも昭和27年には春曙抄で出版していたが、やがて能因(清少納言と同世代)の三巻本をもとにした版で出版されるようになった。

  ※春曙抄 枕草子の書き換えが含まれる注釈本 について、
    古典書物は変化する
    その書物がどう生まれてきて、時代を経てどう読まれているかに注目する読み方もある。
 
枕草子の現代性
 ・白洲正子 (小林秀雄 河上徹太郎
 ・森茉莉 (三島由紀夫 室生犀星)

徒然草枕草子に共通して、
 
   自由に自分の感想・思索・批評を書く、徒然草は誰でも書ける文章のお手本を示した。  
  今を生きる充実感は、「もののあわれ」を相対化する 

 
■『徒然草』『枕草子』への感想
 
 「いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ」 『徒然草』第一段。
 ここ、好きです。
 
 講演に備えて、橋本治の現代語訳、『絵本・徒然草』と『桃尻語訳 枕草子』をざーっと読んでみたら、『徒然草』のほうがずっと深みがあって面白かった。
 高校生のときに橋本治の『桃尻語訳 枕草子』を読んで、相当面白く読んだはずなのに、今はだめ。高圧的な清少納言の語りが金属的に響いてくらくらする。彼女は閉鎖的な世界に暮らしていて視野が狭くて、だからこそ観察が深くて尖っていたのだ、と、いろんな女性を見てきた今ならわかる。高校生の私が喜んで読んでいたのも、その時の私が視野が狭くて「かわいい」「かっこいい」といった事柄を至上のこととして暮らしていたせいなんだな。
 普段翻訳小説ばかり読んでいるので、日本の古典を現代語訳と見比べながら読むのも楽しかったです。なんとなく意味がわかるこの距離感が好奇心を満足させるのかな。
 
 
以下、面白かったところのメモ
 
①蝙蝠?
 
【 枕草子・第三十段 過ぎにし方恋しきもの】
 
 過ぎにし方の、恋しき物、(か)れたる葵。雛遊び(ひひなあそび)の調度(てうど)。二藍、葡萄(えび)染などの裂布(さいで)の、押し圧(へ)されて、
草子の中に有りける、見付けたる。又、折から、哀れなりし人の文、雨など降りて、徒然なる日、捜し出(い)でたる。去年(こぞ)の蝙蝠。月の、明かき夜。
 
  去年の蝙蝠:傘ではなく、紙の扇子
 
②呆れて自室を見渡した
 
 枕草子・第七十二段 過ぎにし方恋しきもの】
 
賤しげなる物。居たる辺(あた)りに調度の多き。硯に、筆の多き。持仏堂に、仏の多き。前栽に、石・草木の多き。家の中に子・孫(うまご)の多き。人に会ひて、言葉の多き。願文(ぐわんもん)に作善(さぜん)多く書き載せたる。多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)の文。塵塚の塵。
 
③一重じゃないとだめですか?
 
 枕草子・第百三十九段 家に有りたき木
 
家に有りたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。花は一重なる、良し。八重桜は、奈良の都にのみ有りけるを、この頃ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆一重にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、拗けたり。植ゑずともありなん。遅桜、また凄まじ。虫の付きたるも、むつかし。梅は、白き、薄紅梅。一重なるが、疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎み付きたる、心憂う。
 
枕草子にも出てくる 「下種」
 
 はやり言葉なので一応・・・。
 清少納言の見下し感が、コワい。
 
 枕草子・第四
 
異事(ことこと)なる物。法師の言葉。男・女の言葉。下種の言葉には、必ず、文字余り、したり。

『ディブック』——記録映画上映とシンポジウム

 

 

 2016年2月6日(土)に東京大学で行われたイベントに行ってきました。二部構成で、第一部は『ディブック』の映画上演でした。 2002年の作品です。
少々遅刻して会場に入ったら真っ暗で、映画が始まっていました。
慌ててとにかく前の方の空いている席に座わったらちょっと音を立ててしまって、前の列の、いかにも品の良い大学の先生という感じの男性に怪訝そうな顔で振り向かれ、申し訳なくてようやく目が慣れてきた薄暗がりの中で軽く頭を下げたのですが、あとでそれは西成彦先生だとわかりました。ユダヤ演劇『ディブック』(未知谷)の編者の立場でこのイベントにいらっしゃるのですが、私の好きな、いや好きというよりもなんか気になってつい読み返してしまう印象的な本

不浄の血 :アイザック・バシェヴィス・シンガー,西 成彦|河出書房新社

の翻訳をなさった方だったのでした。ポーランドワルシャワで書いてもいたけれど渡米後の英訳作品で広く知られる作家ですよね。この『不浄の血』はあいにく家に置いてきてしまいました。とはいえこの日のイベントのテーマはもちろん「ディブック」だったですが。 


 こういう集まりに行くのは、手あたり次第に読んでいる本をまるでメトロ路線図のように関連づけができるようになるのが面白いからです。例えば今回だと「ユダヤ演劇」社の「ディブック」線には、象徴主義ポーランド帝政ロシアロシア革命ロシア・アヴァンギャルド演劇、家父長制と女性、シオニズム・・・の駅があり、他の路線と交差するようにつながってゆく・・・ような。読書によって駅を抽出できる人もいるのでしょうが、私は会話から抽出していくのが好きです。

 さて、『ディブック』は、ベラルーシ生まれの作者S・アン=スキがユダヤの伝承をもとに1915年ごろにロシアで完成した脚本で、心中ものともメロドラマとも、共同体からの圧迫に屈しなかった女性の物語とも読めます。言葉もろくに交わさぬままで相思相愛な若い男女がおり、片や裕福な家の娘、片や身寄りのない神学生。娘の父が別の裕福な家の若者との縁談をまとめたと知って絶望した神学生は死んでしまい、天寿を全うできなかった迷える魂(ディブック)になって、婚礼を迎えた娘に憑りつきます。ユダヤ社会におけるエクソシストたるレビ・アズリエル師が調伏を試みるものの苦戦。やがて神学生の父の霊の訴えで悲劇の因果が明らかになります。結局、レビ・アズリエル
師が選んだ方法とは…。
つい「調伏」「因果」といった仏教の言葉で語りたくなるほど映画は日本の能や歌舞伎の影響を全面に出した面白い演出で、憑依された場面で娘の衣装が、純白の袖が赤と黒の翼のような袖へ早変わりする「ひきぬき」、娘の体内で悪霊が荒れ狂っているときの身振りは「荒事」、他の登場人物の衣装や化粧も、袴や下駄や隈取といった影響が見受けられて、日本で能や狂言を学んだというテル・アヴィヴ大学教授ツヴィカ・セルペル氏の演出はとても面白かったです。その一方で、ゴリゴリにユダヤ色が強い演出があるのならば、そちらも観たくなりました。例えば、寂しい場面でのコーラスは、とても荘厳で美しくてずっと聴いていたい気がしたのだけれど、それがユダヤ文化から来ているのか別のところからきているのか。

 第二部はシンポジウムで、『ディブック』の成立やその後の経緯、イスラエルの演劇状況など。
 第一部の質疑応答で、「ヘブライ語で上演していたけれど、イデッシュ語での上演はどう?」と聞いた人がいて、どっちでもいいような話ではなかったようです。ユダヤ人の言語には、ヘブライ語とイデッシュ語の二つがあって、ヘブライ語は聖書の言葉で二千年も使われていなかったのを1888年に「パレスチナユダヤ人はヘブライ語をしゃべる」の理念を掲げたヘブライ語の先生たちが、演劇を手段とした教育を立ち上げて復活させた経緯があります。対するイデッシュ語は日常の言葉でしたが、ショア(ホロコースト)によって使える人が激減しています。そういえば
アイザック・バシェヴィス・シンガーのよりどころは
イデッシュ語にあったのだけれど、
『ディブック』作者は、ロシア語で執筆し、自分でイデッシュ語に訳したものの、神殿としての演劇を実現したかったので、諧謔性の強いイディッシュ語版よりも、ヘブライ語版を好んだそうです。そういうこともあって 『ディブック』
1920年の初演ではイデッシュ語版、1922年のワンタンゴフ演出はヘブライ語版、というこの演劇の出自は言語使用者から見ると複雑な状況です
。つまり言語がわからなくても興味深い演劇として他言語使用者が観た状況と、言語使用当事者から観た状況は全然異なるのです。私が知らないだけで日本語だって同じようなことはすでに起きているのかもしれないですよね。
 
 

Low (David Bowie)

 スーパーの西友で電球を探していたらデビッド・ボウイのスペースオデッセイがずっと流れていて、なぜ今この曲を?と首をかしげていたその晩にネットで訃報を知った。

 デビッドボウイの曲を初めて聴いたのは父のLPレコードの「Low」だった。その頃LPプレーヤーというものは応接間に置かれていて、スピーカーが生活空間の中で少々大きめで、レコードはわざわざ応接間に行って背筋を伸ばして聴くようなものだった。来客向けに父の本を並べた本棚にはわずかにLPレコードもあり、基本はグレン・グールドのバッハばかりでそこに1枚だけデビッド・ボウイが混ざっていたのだから相当愉快な組合せだった。

www.hmv.co.jp


 「Low」はどなたかが父にプレゼントしてくださったのを私は覚えているのだが、詳細を覚えている人はもういない。作品自体は1977年で、いただいたのは1985年頃だ。私も一緒に聴いて、グレゴリオ聖歌みたいだと思った。

 この他父がデビッド・ボウイをどれだけ知っていたかといえば、テレビ放映での映画『戦場のメリークリスマス』を一緒に観たことがある。ビートたけしの演技に感心していた。レコードの「Low」も時々聞いてはいたが、ヘビーローテーションで聴いていたお気に入りのグレン・グールドには勝てなかったようだ。

 「Low」のおかげでむしろ私や母がデビッド・ボウイに夢中になってしまった。「シリアスムーンライト」ツアーの深夜テレビ放送(1985?)を観るためと言って、母は意を決してビデオデッキを購入してしまった。ユーロスペースで観たレオス・カラックス監督の映画『汚れた血』(1988)の「モダンラブ」の使われ方が素敵で好きな映画の一つになった。2015年にはドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ・イズ』を2回、映画館へ観に行った。

 ドキュメンタリー映画デヴィッド・ボウイ・イズ』はイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館で開催された素敵な回顧展「デヴィッド・ボウイ・イズ」の紹介を兼ねたデビッド・ボウイの魅力満載の映画で、一時は回顧展を見るだけのためにアムステルダムに行きたい!と思ったほどだった。幸いなことに回顧展(※)は2017年春に日本来るようなので、それまでにデビッドボウイ作品を味わっておきたい。

 ※ http://www.vam.ac.uk/content/articles/t/touring-exhibition-david-bowie-is/

 もしも父があと少し長生きしてデヴィッド・ボウイ・イズ』を映画または回顧展で見たら、ライフワークの一つだった詩人マヤコフスキー(マヤコフスキイ)と比べて、きっとなんやかんや言っただろう言葉を、思い出の中から類推するしかないのがまだ少し寂しい。

(ブログ)何を知っていて 何を為すのか

 その晩、映画を見てきた帰り道、駅を出たところで父を見かけた。
 いつもより良い目のスーツで、シャッターの下りた畳屋の軒先に立って、不機嫌極まりない顔で、煙草に火をつけようとしていた。
 
 家の中ならまだしも、外でこんな顔をしているのは見たことがない。一緒に帰ったらいらぬ小言をくらいそうだ。コンビニで時間をつぶしてから帰ろうかと向きを変えた時、もうそれから6年も経った今でも科学的に納得のいく説明はつかないのだけれど、そしてどうか頭のおかしい女の戯言と思わないでいただきたいのだけれど、頭の中でこんな声がした。「そんなことしたら許さない。一生後悔するからね!」
 
 有無を言わせない勢いに驚いて私は苦笑していた。口の右端が諦めのような笑いでぎゅっと上がってゆくのがわかった。しょうがないなあ、そんなに言うのなら勇気を振り絞りましょうかね、と心の中で返事して、煙草を吸う父の前に立った。

 感傷的な解釈としては、人格には上っ面側と奥側の層があって、上っ面側は注意力散漫、思考浅薄、行動は反応的。奥側は逆に物事を深く広く観察する。日常は上っ面側が占有率99.9%で、奥側は滅多に表にでてこないけれど、上っ面側は奥側の判断を信頼している、といったところだろうか。
 その12時間後に父が急死することと、その帰り道が父と話のできる最後のタイミングだったことを、どうして奥側は知っていたのか。どちらも私だというのなら、あの頃私は本当のところは何を見ていて、何を知っていたのか。もしももっと自覚的だったら、手の打ちようがあっただろうか。何度もその情景を思い出す。
 
 私の姿をみて、父の表情がすこし和らいだ。不機嫌極まりない様子は疲れていたせいだったからだ。ある先生の長寿のお祝いの会の帰りだという。(その先生には七日後の父の葬儀でお目にかかった。)それまでどんなときも絶対に弱音を吐かなかった父には珍しく「疲れた」とつぶやき、それでも煙草を手放さず息を切らせながら歩いた。
 竹橋の近代美術館で見たゴーギャンの凄さを嬉々として語りはじめた。「いつか見たいと思っていた絵だ。良かった、本当に良かった。お前も見て来い。」
 
 翌日朝、父は普通に食事を済ませて、私が外出する頃、父も外出の準備をしていた。道中読書には、ゴーギャンにちなんでマリオ・バルガス=リョサの『楽園への道』を持った。
 「僕も出かけるから」と笑っている父に見送られて私は出かけた。どんよりとした曇り空で鳥が高いところで鳴き騒いでいた。何か胸騒ぎがしていたのに振り返らずに駅へむかったかのように記憶している。でもその胸騒ぎはあとづけの脚色にも思える。記憶はいいかげんでお調子者だ。例えば『楽園への道』を家に置き忘れるとかして、30分後に家に戻っていたらせめて一人ぼっちで死なせなかったもしれない、といった類の沢山の小さな後悔が記憶を変えてしまうのだ。
 
 状況をよくわからない人は家族の不注意とも思うだろう。毎日一緒にいた家族のくせに、という気持ちも道理もわからないでもない。ましてや前日お祝いの会に出席しているのを多くの人が見ているのだから、その翌日に死んだなんて信じがたいことで、なんらかの原因をつきとめて指さしたくなる気持ちもよくわかる。でもあえて言わせてもらうなら、大きな持病もなく生まれながらに頑強で健康には絶対的な自信を持っていた父だったので、私たち家族にも予想外の出来事で、気持ちの整理がつけられなかったのだ。
 
 ひと段落した頃、道で父の主治医に会った。「あっぱれな大往生でしたね。男としてうらやましいです」。こういう慰め方もあると知った。

(ブログ) 意味が生まれるとき  2009年10月02日に考えたこと

情報は、置かれた場所によって意味が変わってくるという。

 

ある夕方、楽しい集まりが終わって、二次会どうします?と話をしながら電源を入れた携帯で身内Aの危篤を知った。

 

どうして?
今朝、ふつうに話をしたじゃないか。
ふつうに新聞を読んで、食事をして、歯を磨いて、出かける準備をしていたじゃないか。

 

危篤は確定になった。家に戻って、扉を開けた瞬間から、筆舌に尽くし難い物語が始まった。

 

たぶん「筆舌に尽くし難い」には、2とおりある。

 状態1:記憶・感情がいまだ整理されていないから筆舌が尽くせない状態
 状態2:筆舌を尽くした影響に配慮して自粛している状態

およそ10日経って、こういうものを書けるようになったからには、今は【状態2】だろう。
もしかすると【状態2】のふりをした【状態1】かもしれない。

 

死亡診断書を受け取った。

 ア:直接死因
 イ:その原因
 ウ:その原因
 エ:そのまた原因

が記載されている。

そんなものは、と、お医者様には大変に申し訳ないことではありますが、身内にとっては何の意味もない。
何が書かれていようとも、生き返ることはない。


私達は、身内Aの友人Bに電話をした。
急なことで驚いている友人Bへ、電話越しに読み上げられる死亡診断書のア・イ・ウ・エは、「納得の材料」となる。


やがて友人Bはメールをしたためる。
「納得の材料」は「訃報」になる。


メールは拡散する。
「訃報」は「悲しみのはじまり」、「知り合いに伝えなければならないこと」になる。


もしもマスコミやブロガーの目にとまれば「お知らせ」。場合によっては 「情報源」になる。


いろいろあって。

ここのところ連日、石屋と返礼品業者から、電話とカタログである。
そうだ、彼らにとっては「ビジネスチャンス」なのだ。 世間は持ちつ持たれつですものね。


さて。
ワタシに降りかかってきて、それは「誓い」になった。
聞かされてきた通り、わかるべきことをわからないままでいるのは「想像力の欠如」なのだから。

「・・・でも、やってみよう」

さよならは言いません。
どうか私達を見守っていてください。

 

【本】もののはずみ(堀江敏幸) 小学館文庫(2015)

 「ほんのちょっとむかしの」製品で、「捨てられはしたけれど破壊はまぬがれた」ものとの出会いを描く短編集。

 それぞれ関連するモノクロ写真と短編がセットになっている形式で、今回特に気に入った短編は、「十九時五十九分の緊張」。オートフリップ・クロック、通称パタパタ時計への底なしの愛が語られていて愉快でたまらない。「待つこと」のいとおしさが沁みてきます。

 本書は、2009年版の角川文庫に書きおろし3編が追加されて復刊したもので、書きおろしの中では「靴屋の分別」が良かったです。手袋みたいに片手を入れて動かすタイプの人形のお話。

 これを書こうとして、角川文庫ではじめて読んだ頃のことを思い出した。熊についての短編「おまけ」に出てくる「青いチェック模様の熊」が、実際に作者・堀江さんの鞄にぶら下がっている様子がなにかの雑誌のバックナンバーに載っている、と教えてもらって、神保町の古本屋を巡ったこと。路面が照り返す熱い日だった。教えてくれたその彼女は居心地の良いカフェを求めて、文字通り日本中を巡る人だった。単純に、本は読めさえすればよくて、カフェでは読書さえできれば、と雑に済ませていた側としては、フランス語が読めて、本の装丁やインテリアにも詳しくて、さすがずっと堀江さんのファンをつづけてきた人は違う、と感心したものだった。復刊を機に、またどこかで会えそうな気がする。

【本】死神の精度(伊坂幸太郎) 文藝春秋 (2008)

 作者がブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』に影響されて書いた、と知って早速読みはじめた。死神の行動がすごく面白くて、いや死神本人はあくまでも真面目なんだけど、通勤電車で人前なのに笑い出しちゃった。
 ブラッド・ピットの出てくる映画『ジョー・ブラックをよろしく』を思い出した。ぎこちなく人間のふりをしている死神が少しずつ人間界になじんでゆく話でもあるので。

 死神は一週間後に死を予定されている人間のところへ派遣され、死の執行の可否を調査する。人間界の大組織と同様に、死神達もまた何かの組織の駒に過ぎず、限定的な情報だけ与えられて現地へ赴く。調査の結果、予定通り死なせる場合は、死ぬところを見届けるまでが仕事だ。ちなみに死神が取り扱う人間の死は、事故死や殺人であって、病死や自殺は対象外となる。
 死神たちにも個性があり、ろくすっぽ調査をせずに上へ「可」を報告する輩もいるようだが、我らの主人公はじっくり丁寧に調査する。彼が仕事をするときはなぜかいつも悪天候。だから一回も太陽を見たことがない。
 死神達は「ミュージック」が大好きで、「聴いているだけで、私は幸せになる」。深夜のCDショップでいつまでもいつまでもいつまでも視聴しているのは死神の一人かもしれない。お気に入りとして、バッハのチェロ無伴奏組曲と、ストーンズのブラウンシュガーの曲名がでてくる。

 影響と言われるのは『巨匠とマルガリータ』の大悪魔・ヴォランド、キリストの処刑さえ目撃した永遠の存在で、これが死神につながってゆくのだろう。ヴォランドに比べると、我らの死神は職人気質で生真面目だ。1930年代のモスクワでサバトを開いたヴォランドを日本に連れてくるとこうなる、となんかすごく納得した。
 

 Wikiによると、この作品は2008年に映画化されている近々DVDで観てみよう。続編に『死神の浮力』がある