読めば読むほど

読書日記など

『ディブック』——記録映画上映とシンポジウム

 

 

 2016年2月6日(土)に東京大学で行われたイベントに行ってきました。二部構成で、第一部は『ディブック』の映画上演でした。 2002年の作品です。
少々遅刻して会場に入ったら真っ暗で、映画が始まっていました。
慌ててとにかく前の方の空いている席に座わったらちょっと音を立ててしまって、前の列の、いかにも品の良い大学の先生という感じの男性に怪訝そうな顔で振り向かれ、申し訳なくてようやく目が慣れてきた薄暗がりの中で軽く頭を下げたのですが、あとでそれは西成彦先生だとわかりました。ユダヤ演劇『ディブック』(未知谷)の編者の立場でこのイベントにいらっしゃるのですが、私の好きな、いや好きというよりもなんか気になってつい読み返してしまう印象的な本

不浄の血 :アイザック・バシェヴィス・シンガー,西 成彦|河出書房新社

の翻訳をなさった方だったのでした。ポーランドワルシャワで書いてもいたけれど渡米後の英訳作品で広く知られる作家ですよね。この『不浄の血』はあいにく家に置いてきてしまいました。とはいえこの日のイベントのテーマはもちろん「ディブック」だったですが。 


 こういう集まりに行くのは、手あたり次第に読んでいる本をまるでメトロ路線図のように関連づけができるようになるのが面白いからです。例えば今回だと「ユダヤ演劇」社の「ディブック」線には、象徴主義ポーランド帝政ロシアロシア革命ロシア・アヴァンギャルド演劇、家父長制と女性、シオニズム・・・の駅があり、他の路線と交差するようにつながってゆく・・・ような。読書によって駅を抽出できる人もいるのでしょうが、私は会話から抽出していくのが好きです。

 さて、『ディブック』は、ベラルーシ生まれの作者S・アン=スキがユダヤの伝承をもとに1915年ごろにロシアで完成した脚本で、心中ものともメロドラマとも、共同体からの圧迫に屈しなかった女性の物語とも読めます。言葉もろくに交わさぬままで相思相愛な若い男女がおり、片や裕福な家の娘、片や身寄りのない神学生。娘の父が別の裕福な家の若者との縁談をまとめたと知って絶望した神学生は死んでしまい、天寿を全うできなかった迷える魂(ディブック)になって、婚礼を迎えた娘に憑りつきます。ユダヤ社会におけるエクソシストたるレビ・アズリエル師が調伏を試みるものの苦戦。やがて神学生の父の霊の訴えで悲劇の因果が明らかになります。結局、レビ・アズリエル
師が選んだ方法とは…。
つい「調伏」「因果」といった仏教の言葉で語りたくなるほど映画は日本の能や歌舞伎の影響を全面に出した面白い演出で、憑依された場面で娘の衣装が、純白の袖が赤と黒の翼のような袖へ早変わりする「ひきぬき」、娘の体内で悪霊が荒れ狂っているときの身振りは「荒事」、他の登場人物の衣装や化粧も、袴や下駄や隈取といった影響が見受けられて、日本で能や狂言を学んだというテル・アヴィヴ大学教授ツヴィカ・セルペル氏の演出はとても面白かったです。その一方で、ゴリゴリにユダヤ色が強い演出があるのならば、そちらも観たくなりました。例えば、寂しい場面でのコーラスは、とても荘厳で美しくてずっと聴いていたい気がしたのだけれど、それがユダヤ文化から来ているのか別のところからきているのか。

 第二部はシンポジウムで、『ディブック』の成立やその後の経緯、イスラエルの演劇状況など。
 第一部の質疑応答で、「ヘブライ語で上演していたけれど、イデッシュ語での上演はどう?」と聞いた人がいて、どっちでもいいような話ではなかったようです。ユダヤ人の言語には、ヘブライ語とイデッシュ語の二つがあって、ヘブライ語は聖書の言葉で二千年も使われていなかったのを1888年に「パレスチナユダヤ人はヘブライ語をしゃべる」の理念を掲げたヘブライ語の先生たちが、演劇を手段とした教育を立ち上げて復活させた経緯があります。対するイデッシュ語は日常の言葉でしたが、ショア(ホロコースト)によって使える人が激減しています。そういえば
アイザック・バシェヴィス・シンガーのよりどころは
イデッシュ語にあったのだけれど、
『ディブック』作者は、ロシア語で執筆し、自分でイデッシュ語に訳したものの、神殿としての演劇を実現したかったので、諧謔性の強いイディッシュ語版よりも、ヘブライ語版を好んだそうです。そういうこともあって 『ディブック』
1920年の初演ではイデッシュ語版、1922年のワンタンゴフ演出はヘブライ語版、というこの演劇の出自は言語使用者から見ると複雑な状況です
。つまり言語がわからなくても興味深い演劇として他言語使用者が観た状況と、言語使用当事者から観た状況は全然異なるのです。私が知らないだけで日本語だって同じようなことはすでに起きているのかもしれないですよね。
 
 

Low (David Bowie)

 スーパーの西友で電球を探していたらデビッド・ボウイのスペースオデッセイがずっと流れていて、なぜ今この曲を?と首をかしげていたその晩にネットで訃報を知った。

 デビッドボウイの曲を初めて聴いたのは父のLPレコードの「Low」だった。その頃LPプレーヤーというものは応接間に置かれていて、スピーカーが生活空間の中で少々大きめで、レコードはわざわざ応接間に行って背筋を伸ばして聴くようなものだった。来客向けに父の本を並べた本棚にはわずかにLPレコードもあり、基本はグレン・グールドのバッハばかりでそこに1枚だけデビッド・ボウイが混ざっていたのだから相当愉快な組合せだった。

www.hmv.co.jp


 「Low」はどなたかが父にプレゼントしてくださったのを私は覚えているのだが、詳細を覚えている人はもういない。作品自体は1977年で、いただいたのは1985年頃だ。私も一緒に聴いて、グレゴリオ聖歌みたいだと思った。

 この他父がデビッド・ボウイをどれだけ知っていたかといえば、テレビ放映での映画『戦場のメリークリスマス』を一緒に観たことがある。ビートたけしの演技に感心していた。レコードの「Low」も時々聞いてはいたが、ヘビーローテーションで聴いていたお気に入りのグレン・グールドには勝てなかったようだ。

 「Low」のおかげでむしろ私や母がデビッド・ボウイに夢中になってしまった。「シリアスムーンライト」ツアーの深夜テレビ放送(1985?)を観るためと言って、母は意を決してビデオデッキを購入してしまった。ユーロスペースで観たレオス・カラックス監督の映画『汚れた血』(1988)の「モダンラブ」の使われ方が素敵で好きな映画の一つになった。2015年にはドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ・イズ』を2回、映画館へ観に行った。

 ドキュメンタリー映画デヴィッド・ボウイ・イズ』はイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館で開催された素敵な回顧展「デヴィッド・ボウイ・イズ」の紹介を兼ねたデビッド・ボウイの魅力満載の映画で、一時は回顧展を見るだけのためにアムステルダムに行きたい!と思ったほどだった。幸いなことに回顧展(※)は2017年春に日本来るようなので、それまでにデビッドボウイ作品を味わっておきたい。

 ※ http://www.vam.ac.uk/content/articles/t/touring-exhibition-david-bowie-is/

 もしも父があと少し長生きしてデヴィッド・ボウイ・イズ』を映画または回顧展で見たら、ライフワークの一つだった詩人マヤコフスキー(マヤコフスキイ)と比べて、きっとなんやかんや言っただろう言葉を、思い出の中から類推するしかないのがまだ少し寂しい。

(ブログ)何を知っていて 何を為すのか

 その晩、映画を見てきた帰り道、駅を出たところで父を見かけた。
 いつもより良い目のスーツで、シャッターの下りた畳屋の軒先に立って、不機嫌極まりない顔で、煙草に火をつけようとしていた。
 
 家の中ならまだしも、外でこんな顔をしているのは見たことがない。一緒に帰ったらいらぬ小言をくらいそうだ。コンビニで時間をつぶしてから帰ろうかと向きを変えた時、もうそれから6年も経った今でも科学的に納得のいく説明はつかないのだけれど、そしてどうか頭のおかしい女の戯言と思わないでいただきたいのだけれど、頭の中でこんな声がした。「そんなことしたら許さない。一生後悔するからね!」
 
 有無を言わせない勢いに驚いて私は苦笑していた。口の右端が諦めのような笑いでぎゅっと上がってゆくのがわかった。しょうがないなあ、そんなに言うのなら勇気を振り絞りましょうかね、と心の中で返事して、煙草を吸う父の前に立った。

 感傷的な解釈としては、人格には上っ面側と奥側の層があって、上っ面側は注意力散漫、思考浅薄、行動は反応的。奥側は逆に物事を深く広く観察する。日常は上っ面側が占有率99.9%で、奥側は滅多に表にでてこないけれど、上っ面側は奥側の判断を信頼している、といったところだろうか。
 その12時間後に父が急死することと、その帰り道が父と話のできる最後のタイミングだったことを、どうして奥側は知っていたのか。どちらも私だというのなら、あの頃私は本当のところは何を見ていて、何を知っていたのか。もしももっと自覚的だったら、手の打ちようがあっただろうか。何度もその情景を思い出す。
 
 私の姿をみて、父の表情がすこし和らいだ。不機嫌極まりない様子は疲れていたせいだったからだ。ある先生の長寿のお祝いの会の帰りだという。(その先生には七日後の父の葬儀でお目にかかった。)それまでどんなときも絶対に弱音を吐かなかった父には珍しく「疲れた」とつぶやき、それでも煙草を手放さず息を切らせながら歩いた。
 竹橋の近代美術館で見たゴーギャンの凄さを嬉々として語りはじめた。「いつか見たいと思っていた絵だ。良かった、本当に良かった。お前も見て来い。」
 
 翌日朝、父は普通に食事を済ませて、私が外出する頃、父も外出の準備をしていた。道中読書には、ゴーギャンにちなんでマリオ・バルガス=リョサの『楽園への道』を持った。
 「僕も出かけるから」と笑っている父に見送られて私は出かけた。どんよりとした曇り空で鳥が高いところで鳴き騒いでいた。何か胸騒ぎがしていたのに振り返らずに駅へむかったかのように記憶している。でもその胸騒ぎはあとづけの脚色にも思える。記憶はいいかげんでお調子者だ。例えば『楽園への道』を家に置き忘れるとかして、30分後に家に戻っていたらせめて一人ぼっちで死なせなかったもしれない、といった類の沢山の小さな後悔が記憶を変えてしまうのだ。
 
 状況をよくわからない人は家族の不注意とも思うだろう。毎日一緒にいた家族のくせに、という気持ちも道理もわからないでもない。ましてや前日お祝いの会に出席しているのを多くの人が見ているのだから、その翌日に死んだなんて信じがたいことで、なんらかの原因をつきとめて指さしたくなる気持ちもよくわかる。でもあえて言わせてもらうなら、大きな持病もなく生まれながらに頑強で健康には絶対的な自信を持っていた父だったので、私たち家族にも予想外の出来事で、気持ちの整理がつけられなかったのだ。
 
 ひと段落した頃、道で父の主治医に会った。「あっぱれな大往生でしたね。男としてうらやましいです」。こういう慰め方もあると知った。

(ブログ) 意味が生まれるとき  2009年10月02日に考えたこと

情報は、置かれた場所によって意味が変わってくるという。

 

ある夕方、楽しい集まりが終わって、二次会どうします?と話をしながら電源を入れた携帯で身内Aの危篤を知った。

 

どうして?
今朝、ふつうに話をしたじゃないか。
ふつうに新聞を読んで、食事をして、歯を磨いて、出かける準備をしていたじゃないか。

 

危篤は確定になった。家に戻って、扉を開けた瞬間から、筆舌に尽くし難い物語が始まった。

 

たぶん「筆舌に尽くし難い」には、2とおりある。

 状態1:記憶・感情がいまだ整理されていないから筆舌が尽くせない状態
 状態2:筆舌を尽くした影響に配慮して自粛している状態

およそ10日経って、こういうものを書けるようになったからには、今は【状態2】だろう。
もしかすると【状態2】のふりをした【状態1】かもしれない。

 

死亡診断書を受け取った。

 ア:直接死因
 イ:その原因
 ウ:その原因
 エ:そのまた原因

が記載されている。

そんなものは、と、お医者様には大変に申し訳ないことではありますが、身内にとっては何の意味もない。
何が書かれていようとも、生き返ることはない。


私達は、身内Aの友人Bに電話をした。
急なことで驚いている友人Bへ、電話越しに読み上げられる死亡診断書のア・イ・ウ・エは、「納得の材料」となる。


やがて友人Bはメールをしたためる。
「納得の材料」は「訃報」になる。


メールは拡散する。
「訃報」は「悲しみのはじまり」、「知り合いに伝えなければならないこと」になる。


もしもマスコミやブロガーの目にとまれば「お知らせ」。場合によっては 「情報源」になる。


いろいろあって。

ここのところ連日、石屋と返礼品業者から、電話とカタログである。
そうだ、彼らにとっては「ビジネスチャンス」なのだ。 世間は持ちつ持たれつですものね。


さて。
ワタシに降りかかってきて、それは「誓い」になった。
聞かされてきた通り、わかるべきことをわからないままでいるのは「想像力の欠如」なのだから。

「・・・でも、やってみよう」

さよならは言いません。
どうか私達を見守っていてください。

 

【本】もののはずみ(堀江敏幸) 小学館文庫(2015)

 「ほんのちょっとむかしの」製品で、「捨てられはしたけれど破壊はまぬがれた」ものとの出会いを描く短編集。

 それぞれ関連するモノクロ写真と短編がセットになっている形式で、今回特に気に入った短編は、「十九時五十九分の緊張」。オートフリップ・クロック、通称パタパタ時計への底なしの愛が語られていて愉快でたまらない。「待つこと」のいとおしさが沁みてきます。

 本書は、2009年版の角川文庫に書きおろし3編が追加されて復刊したもので、書きおろしの中では「靴屋の分別」が良かったです。手袋みたいに片手を入れて動かすタイプの人形のお話。

 これを書こうとして、角川文庫ではじめて読んだ頃のことを思い出した。熊についての短編「おまけ」に出てくる「青いチェック模様の熊」が、実際に作者・堀江さんの鞄にぶら下がっている様子がなにかの雑誌のバックナンバーに載っている、と教えてもらって、神保町の古本屋を巡ったこと。路面が照り返す熱い日だった。教えてくれたその彼女は居心地の良いカフェを求めて、文字通り日本中を巡る人だった。単純に、本は読めさえすればよくて、カフェでは読書さえできれば、と雑に済ませていた側としては、フランス語が読めて、本の装丁やインテリアにも詳しくて、さすがずっと堀江さんのファンをつづけてきた人は違う、と感心したものだった。復刊を機に、またどこかで会えそうな気がする。

【本】死神の精度(伊坂幸太郎) 文藝春秋 (2008)

 作者がブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』に影響されて書いた、と知って早速読みはじめた。死神の行動がすごく面白くて、いや死神本人はあくまでも真面目なんだけど、通勤電車で人前なのに笑い出しちゃった。
 ブラッド・ピットの出てくる映画『ジョー・ブラックをよろしく』を思い出した。ぎこちなく人間のふりをしている死神が少しずつ人間界になじんでゆく話でもあるので。

 死神は一週間後に死を予定されている人間のところへ派遣され、死の執行の可否を調査する。人間界の大組織と同様に、死神達もまた何かの組織の駒に過ぎず、限定的な情報だけ与えられて現地へ赴く。調査の結果、予定通り死なせる場合は、死ぬところを見届けるまでが仕事だ。ちなみに死神が取り扱う人間の死は、事故死や殺人であって、病死や自殺は対象外となる。
 死神たちにも個性があり、ろくすっぽ調査をせずに上へ「可」を報告する輩もいるようだが、我らの主人公はじっくり丁寧に調査する。彼が仕事をするときはなぜかいつも悪天候。だから一回も太陽を見たことがない。
 死神達は「ミュージック」が大好きで、「聴いているだけで、私は幸せになる」。深夜のCDショップでいつまでもいつまでもいつまでも視聴しているのは死神の一人かもしれない。お気に入りとして、バッハのチェロ無伴奏組曲と、ストーンズのブラウンシュガーの曲名がでてくる。

 影響と言われるのは『巨匠とマルガリータ』の大悪魔・ヴォランド、キリストの処刑さえ目撃した永遠の存在で、これが死神につながってゆくのだろう。ヴォランドに比べると、我らの死神は職人気質で生真面目だ。1930年代のモスクワでサバトを開いたヴォランドを日本に連れてくるとこうなる、となんかすごく納得した。
 

 Wikiによると、この作品は2008年に映画化されている近々DVDで観てみよう。続編に『死神の浮力』がある

(インタビュー)「膨大さに追われずに、バランスよくさっと見て、自分のポイントを見つける」

◇話し手:水野俊太郎 (Shuntaro Mizuno) 1977年東京生まれ。理学博士。早稲田大学高等研究所助教
◇インタビュー日:2015年8月15日
◇メモ:インタビュー講座の課題着手にあたり、最初のインタビュー相手を弟にしました。以前から「弟さんはどんな研究をしているんですか?」と聞かれて途方に暮れていたので。(水野美和子) 

■ポジション

主に宇宙のインフレーションモデルの研究をしています。2013年までは世界的に一番進んでいるテーマを持つ研究者との共同研究でイギリスやフランスの研究機関にいましたが、任期が終わって帰国し、今は早稲田大学高等研究所の助教です。研究をつづけながら、海外での研究経験を活かして早稲田の研究や教育活動に貢献できるポジションですが、これまで同様に任期があるので、今はいろんな意味で大切な時期だと思っています。海外での就職は考えませんでした。その国特有の教育カリキュラムに対応しなければならないし、ヨーロッパは不況でもあるし、アメリカはコネ社会みたいなところがあるので、僕がポンと行ったところで難しい。それに日本で育ててもらったから、やっぱり日本に貢献したい。研究に専念できるポジションは限られているけれども、まだ日本の方が研究をつづけやすいです。

 

インフレーション

インフレーションとはビッグバンの前の現象で、宇宙の構造のもとになる揺らぎを生成してビッグバンに初期条件を与えるものです。インフレーションの揺らぎの性質を予想したものをモデルと呼びます。すでにモデルは100個以上考えられていて、僕ら理論家は、厳しい前提条件の中でどれだけ良いアイディアを出せるかが勝負です。観測衛星のおかげで実際にモデルの検証ができるようになったのが最近の進展といえます。検証に耐えたモデルの中には、僕が提唱したものや、他の人のを強化したモデルも含まれます。また、ビッグバンの初期条件をインフレーション以外のメカニズムで説明する議論もあるにはありますが、最近はもうインフレーション自体を認めて、どのインフレーションのモデルがビッグバンの初期条件を「自然に」説明できるかを考えるのが主流になってきています。「自然に」とは「こういう条件をつければ説明できます」といった但し書きがより少ないことです。

 

■実証可能になった哲学

インフレーションよりもっと前の時期に「宇宙がどうできたか」は、現在の技術では白黒つけられないので、科学というよりは哲学的な枠内にあると思います。インフレーションも最近まで哲学的な枠内にあったのですが、2001年にアメリカのNASAが打ち上げたWMAP(ダブリュマップ)衛星と、2009年にESA(ヨーロッパ宇宙機関)が打ち上げたプランク衛星が、「宇宙背景放射」というビッグバンの証拠であり、インフレーションの名残でもある現象を観測したデータによって、モデルを検証できるようになりました。つまり技術の進歩によって科学の適用範囲が広がったという。だからインフレーションは面白い、とよく言われます。インフレーションの提唱者の一人である佐藤勝彦さんも最近、1980年代に理論を作った頃には、こんなすぐには観測や実験で実証可能になるとは思っていなかった、と言っているほどです。

 

■道のり

高校の文化祭で佐藤勝彦さんの講演を聞いて、宇宙の本質に迫る考え方になんとなく惹かれました。早稲田大学での最初の共同研究は大学院生の時、指導教官の前田恵一先生と助手だった辻川信二さんとで、インフレーションからビッグバンへの移行期である再加熱期に関するひとつのモデルを考えました。早稲田で助手をした後、東京大学の横山順一先生の研究室の研究員になり、その後は海外のノッティンガム大学でE. Copelandさんと暗黒エネルギーモデルの解析に関する共同研究をするためにイギリスへ。さらにポーツマス大学ではD. Wandsさんと「生成される密度揺らぎの統計性が特徴的なインフレーションモデル」を、フランスのパリ大学ではD. Langloisさんに博士研究員として受け入れていただいて「生成される密度揺らぎのスケール依存性が特徴的なインフレーションモデル」の共同研究をしました。このLangloisさんとは学生の頃からご縁があって、来日したとき早稲田でもセミナーをしていただくことになり、前日の夜に高田馬場駅まで僕が迎えに行きました。途中で朝食を買うためにコンビニへ行ったら、その当時はベジタリアンだったので卵もダメというので、Langloisさんが食べられそうなサンドイッチを探して一緒にコンビニをハシゴした記憶があります。

 

■海外の研究者

5年近く海外で仕事をして実感したのは、海外の研究者達は、研究の質を重視していて、良いアイディアを出すことです。また、集中力がかなりあって、研究を比較的短い時間で仕上げ、余暇や家族との時間を多く取っています。そういう人達の研究手法を学べたのは良かったです。また、一流の研究者が、僕が面白いと思ったアイディアをきちんと評価してくれたことがあって、とても嬉しく、自信をもてるようになりました。あと、ヨーロッパでは理系の研究者もある程度は文系の知識が必須な教育システムになっているようです。日本だと専門だけわかっていればよいという雰囲気があって、確かに自分の仕事をきちんとやるのが一番大事ですけれど、社会、文学、宗教、歴史等に対して深い教養を持つ人達が、最先端の宇宙物理でもバリバリと成果を出している姿に僕は感銘を受けました。

 

■毎日

モデルの研究ではノートパソコンの数値計算ソフトで観測結果への反映をシミュレーションしたり、予測される観測結果に対して予言を出したり。あとは学会向けのプレゼンの準備、文系向け教養講座の準備とか。大学の研究室のゼミに参加してセミナーを聞いたり、学生の発表や研究を聞いたり、前田先生と共同研究を進めたりしています。もちろん論文も書きます。理想はインフレーションが分かる人に引用してもらえる質の高い論文をたくさん書くことで、年に3本ぐらい書いています。インフレーションで論文が書ける人は世界に200人ぐらいいますが、そのうちの100人に引用してもらっている論文が2、3本あります。自分だけが面白いと思ってもまったく引用してもらえませんから、毎日アーカイブで動向をチェックします。今は世界中で論文のアーカイブが共有されていて、提出した翌日にはもうPDFファイルで読むことができます。その膨大さに追われずにバランスよくさっと見て、自分のポイントを見つけるのが大切です。

 

■これから

インフレーション研究の火付け役とでもいうべき、アメリカの衛星の観測結果が出たのが2004年、ヨーロッパが2013年です。お国柄かアメリカは簡単だけどさっとできるものを先にやって、ヨーロッパは精度を上げてきっちりしたものを。役割分担をしたかのようですね。2013年の観測結果による考察が完全に終わってしまうと、次に日本が2020年に打ちあげる衛星の観測結果が出るまでにおよそ十年間あいてしまいます。これまでの十年に比べると停滞期というか、白黒つけるにはしばらく時間がかってしまう。そろそろ別の検証方法を考える時期かもしれない。揺らぎを電磁波以外で観測するような…。もちろん、インフレーションにからむ研究対象として、宇宙の謎はまだまだ残っていて、まず「暗黒エネルギー」。宇宙論の物理はニュートン重力の拡張で、基本的には万有引力なので、宇宙が普通の物質でできているとしたら、宇宙の膨張は引力のせいでゆっくりになるはずなんだけど、実際には膨張がどんどん早くなっている…と、ここ十年くらいの観測結果で明らかになりました。銀河のようには光らないよくわかんない「暗黒物質」があるのかもしれない。この「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」の「暗黒」とは「よくわからないもの」って意味で。これがどのくらいすごいことかというと、ノーベル物理賞は普通、何か謎を説明しないと取れないものだけど、暗黒エネルギーに関しては「宇宙が加速膨張をしている」ことを発見した人がノーベル賞を取った程。本当にすごい謎です。

 

■魅力

初期宇宙論の魅力は、科学でありながらいろんな部分をちょくちょく含んでいるところです。物理だけではなく、哲学や歴史、宗教の要素もあります。あと僕はもともと歴史が大好きで、それは今僕らが当然のように享受しているこの世界は、実は過去の人々の偉大な業績のおかげだったと学べるからです。表面に見えるものだけではなく、過去の積み重ねの結果であるという事実に気づかされるからです。その意味で、初期宇宙論は究極の歴史と言えます。もちろん最終的には、僕の提唱している理論やモデルが正しいと決着がついてほしいです。でももし仮に将来の観測によって間違いとされてしまっても、他の誰かが僕のモデルのアイディアを引き継いで、その時点での観測結果が許容できるように改良したモデルを提案してくれたなら、多少なりとも人類の科学の進歩に貢献できると思います。どんな分野でもそうですが新しい結果がでたら、理解が深まり進歩してゆくわけで、できれば自分が関わっているうちにインフレーションを理解できたらいいな、と思います。