『飛燕』と『ドナドナ』
オンラインのおしゃべりで、好きな歌の話になった。
私は断然、米津玄師の『飛燕』が一番だ。
もちろん、他の米津玄師の曲も大好きだけれど、人前で歌うなら、なんとなく、か細いけど負けず嫌いな私の声質と、曲のイメージが結構近い、ような気がしている。
『飛燕』をモニタ越しにアカペラで歌ったら、それぞれが好きな曲を順番に歌い始めた。
その中の一人が、ドナドナを歌った。英語だった。
私はドナドナを小学校で習った覚えがある。どこかの民謡だと思っていた。
その人の歌を聞く限り、メロディも曲の描く世界も、小学校で習ったドナドナと、ほとんど同じであるようだ。
つまり、子牛がドナドナされてしまう情景らしい。
…と、うっかり書いてしまう位に、「ドナドナ」という言葉は、「不本意な場所に、抗うことなく連れていかれている」という意味として人口に膾炙している。
英語の『ドナドナ』を聞いているうちに、燕とか風とか翼とかのキーワードが聞こえてきた。これって米津玄師の『飛燕』のキーワードでもある。
『ドナドナ』の歌詞は『飛燕』に似ている…! ように思えて、英語の歌詞を確認してみました!
■『ドナドナ』と『飛燕』の似ているところ
・燕が飛んでいる
・翼さえあれば…と語る
・風が強く吹いている(翼や風は、きっと自由の象徴なんだね!)
・確かに「灰を前に嘆いていた」と「slaughter」(虐殺する)はイメージが近い
■『ドナドナ』と『飛燕』の違うところ
え
・『飛燕』は、何度でもやり直そう、諦めまい! といったメッセージが伝わってくる
・『ドナドナ』は、つながれて死を待つばかりの子牛と自由な燕が対比的に描かれている。歌詞だけ読めば「子牛ではなく、燕になろうよ」とあるけれど、メロディの、もの悲しさは子牛への同情や切なさそのもの。
■結論
要素として、燕、風、翼、というものはあるし、テーマとして「自由や夢をあきらめちゃだめだ」というところは確かに近しい。でも、子牛の悲しみを歌うのか、灰を前にさらに前に進む決意を歌うのか、という点で似ているようで、やっぱり違う曲だと思います。
■おまけ
「ドナドナ」の意味を調べていると、曲の変遷について書かれているWikiがありました。
原曲は「1938年に Dana Dana (ダナダナ)として作られたイディッシュ語の歌」とのことで、第二次世界大戦前ですね。
そして「ドナドナ」の意味は、下記の二通りの解釈があって、どうやら決着はついていないようです。
1.牛を追う時の掛け声
2.「神よ」という言葉の省略系
そういえば、この集まりで、英語母語者が一人混ざっていて、
『飛燕』の歌詞を英訳してみて、と言われてしまったので、
ちょっと頑張ってみましたー!